ガンプラは自由だ。に対する自分の解釈
この記事は特に自分が思った事をただ書きたかっただけなので、もしこの記事を見た方は適当にこんな考えの人もいるんだな程度に読んでくれれば幸いです。
そもそも「ガンプラは自由だ」という言葉の定義は、誰が決めたというわけでもないし、公式からの言及があるわけでもない。解釈なんて人それぞれなので、誰の意見も間違ってないと思う。
ただ、ガンプラ投稿サイトを運営している身としては、しっかりと自分の考えを言葉で提示できるようにしなければいけない。なので、今回はそれについて書いていきたいと思います。
「ガンプラは自由だ」
この言葉はアニメ「ガンダムビルドファイターズ」の主人のイオリ•セイのセリフが元ネタになっているが、この言葉の真意は「ガンプラに正解は無い」という事だと思う。
所謂、王道パターンとは少し逸れた手法で制作された作品というのも、それも立派なガンプラ作品だ!と言いたかったのだろう。
しかしなぜこんな言葉をあのタイミングで発せさせたのだろうか。
作品に正解がないという話は、かなり前から絵の世界や詩の世界、小説の世界では通説になっていたので、何を今更…というのが最初に耳にした時の印象だったが、実際に王道から逸れた表現をよろしくないと思う層が一部存在し、その一部の層に向けた公式からのメッセージだったようにも解釈できる。
そのような言葉をわざわざアニメのキャラクターに言わせないといけないまでに状況が深刻だったかどうかまでは分からないが、2chやネットなどで色々言われてきたことも事実だ。
と、同時にこの台詞で救われたモデラーさんもかなりいるのも事実。やはり名台詞なんだろうなと改めて感じました。
話が少し脱線してしまったが、私はこの名台詞を素直に受け取って、本当になんでも良いのか。何をしても良いのかと言えばそういうわけでもないと思う。
一人で作る分には何も言うことは無いけれど、誰かに見せる場合、果たして同じことが言えるのだろうか。
端的にいうと人を馬鹿にするような作品だったり誰かを傷つけてしまう作品など、「ガンプラは自由だ」という言い訳で通用するだろうか。
最近SNSでは人を傷つけたり馬鹿にするような言葉が飛び交っているのを多く目にする事が増えとても悲しい気持ちになるのと一緒で、人に自分の作品を伝えたい場合は最低限のマナーは必要だよねという話でした。